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社会の統計と計量計測の統計 【分類12】 web情報総合サイト 音楽の項目 音楽とオーディオ 目次 音楽・オーディオの文化・評論(芥川賞作家の五味康祐氏) 五味康祐氏の音楽とオーディオ評論(エッセー) 楽曲(音楽)とユーチューブ(動画)目次 楽曲(音楽)とユーチューブ(動画)-その内容 1- YAMAHAコンサート用のPAスピーカー S0108T 執筆 甲斐鐵太郎 |
日本計量新報一面記事です。 2018年10月14日号(3212)1面 2018年10月07日号(3211)1面 2018年09月23日号(3210)1面 2018年09月16日号(3209)1面 2018年09月09日号(3208)1面 2018年09月02日号(3207)1面 2018年08月26日号(3206)1面 2018年08月12日号(3205)1面 2018年08月05日号(3204)1面 2018年07月29日号(3203)1面 2018年07月22日号(3202)1面 2018年07月15日号(3201)1面 2018年07月01号(3200)1面 |
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その33- 私の習い事 謡と仕舞い 観世能楽堂で開かれた上田観正会では地頭を宗家に『隅田川』の渡し守を演ずるワキを謡わせていただいた 謡と仕舞い 謡では奥伝という卒業証書に値する「道成寺」のお免状を戴いた 能の効用 謡は、千葉時代の1962(昭和37)年頃に関西で父や母と親交があった部長や課長さんがおられて、その方々から声がかかり、お稽古に通い始めたのが始まりである。しかし、仕事が忙しくなってきて一時中断があり、転勤で関西に帰った後に仕舞と共に再開した。 その背後には、幼児期の言語障害みたいなところが無くならないかなぁ、という期待があった。時折上司からも“もそもそいって、何だか解からん”と言われ劣等感を感じていた故でもある。しかし「おしゃべり」と「謡い」とは頭の回路が別であり、その効果はないことに最近気がついている。 しかし謡には、六つの得が在るとされている。すなわち、行かずして、名所を知る。老いずして、古事を知る。触れずして、仏道を知る。恋せずして、美人を知る。薬なくして、鬱気を散ず。詠めずして、花月を臨む。更に大声を出すので丹田式と同じ腹式呼吸をして、内蔵にマッサージを与える結果となり、健康に良い。仕舞は背筋を真っ直ぐに伸ばすこと、腹に力を入れてすり足で歩くので足腰が鍛えられ、健康に良いことの2つが加わる。 暇な時などは、我が家で独りで謡っても、美人に会えるし、名所を尋ねて花月を臨めるし、結構楽しいものである。お金が全く懸からないのが、私のごとき貧乏人には何よりだ。その上ゴルフと違って、年を取ったからといって腕前が落ちたということもない。 親孝行 最初に千葉で謡を始めた動機、神戸で再開した経緯には、正直言って親孝行になるかも知れないと考えた事があるのも確かである。始めは母に、次には父に習おうかとも思っていた。父母は隠居後に丹波で、村の人たちと謡と仕舞の会を催していた。私が神戸や東京から里帰りして、会に参加すると非常に喜んでくれたものである。 なぜか我が家は父系・母系とも能を楽しんだり、謡を謡ったりする祖父・ 曾祖父がいて(いずれも観世流)、現在私が用いている紋付や袴はその辺りから受け継いでいる物が多い。仕舞を舞うときの扇にしても不自由はしなかった。あるとき宗家の紋が入った扇を使ってみようと師匠に相談したら、こんなものが貴方の家にあるのがおかしいとも言われた。先代が跡継ぎのない師匠から譲り受けたものであった。 晴れ舞台 職場での同好会にも恵まれた最後の時代であり、千葉に限らず、神戸や西宮でも職場のサークルとしての先生に付いていた。また川鉄だけでなく、川重・川崎航空、川崎車両も含めた全川崎での発表会もあり、立派な舞台で謡や仕舞を楽しむこともあった。 最も特異な経験は、2010年1月の「東京計量士会創立10週年」に、皆さんにおだてられ、椿山荘にてお目出度い曲として『老松』を謡ったことである。 転勤が多かったので、あちこちの師匠に教えていただいたが、現在は東京にてこの10余年、上田公威師に習っている。観世宗家直々の師匠であり、私と同じく神戸出身でもあるため心安くしてもらっている。 最近は背中も曲がり気味で、無様な姿をさらしたくないので、舞台での仕舞は止めている。その分謡に専念している、その功が実ってか昨年『道成寺』のお免状を戴いた。これは重習(おもならい)奥伝という卒業証書に値するものである。半年を要したが、習いながらやはりその値打ちはある曲だとつくづく感じ入ったものだ。そして2009年の6月、渋谷の観世能楽堂で開かれた上田観正会では、地頭を宗家に、『隅田川』の渡し守を演ずるワキを謡わせていただいた。わが謡の生涯最高の舞台であった。 (つづく) 私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その33- 私の習い事 謡と仕舞い 観世能楽堂で開かれた上田観正会では地頭を宗家に『隅田川』の渡し守を演ずるワキを謡わせていただいた |