「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版) 2017年10月12日号
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日本計量新報週報デジタル版フ目次
1、私の履歴書 鍋島綾雄(14)未熟な経営者としての成功と失敗
1、計量計測データバンク フェイスブックニュース(ニュースを週ごとに10本ほど掲載しております)
1、計量計測データバンク ツイートニュース(ニュースを週ごとに10本ほど掲載しております)
1、今週の日本計量新報全紙面 webサイトに掲載されている新聞のデジタル版です。全紙面を更新 (6月25日号(3154)を掲載)
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「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)
「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版) 2017年10月5日号
私の履歴書 「陸軍航空士官学校で終戦を迎えハカリ屋になった男の記録」 鍋島綾雄(15) トラックスケールを東北地区に拡販 目次 |
目次 私の履歴書 「陸軍航空士官学校で終戦を迎えハカリ屋になった男の記録」(16) 外販との出会い 目次 |
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私の履歴書 鍋島 綾雄(17) 飛込み営業 日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長 |
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目次16 外販との出会い 2745号旧度量衡法時代(昭和26年まで)は規制が厳しく製造・修理・販売と総て免許制であった。それは同時に法に保護された業界であり、競争が少なく既得権に安住して発展性の乏しい業界でもあった。 民主化された新法は免許制から登録制に変わったことで代表されるようにある程度規制が緩和された。 度量衡法では免許は地方の旧家・資産家に交付されていたから、「売って遣(つか)わす。」という気風が残っていて、ハカリは店舗へ買いにくるもので、売りに行くものではなかった。従業員が300名いるようなメーカーでも営業担当者は数名に過ぎず販路は問屋・商社で最終ユーザーに対する関心は比較的薄かった。 計量法になって店舗外販売が可能になった。所謂外販である、この外販にいち早く踏み切ったイシダと寺岡が業界の地図を塗り替える発展をすることになる。 イシダは京都で3代続く老舗のハカリ屋で先代が制温装置を発明し性能の優れたばね式ハカリを造っていたが当時は京都の一地方メーカーに過ぎなかった。 外販は肉屋・魚屋・八百屋・菓子屋(当時は量り売りだった)を一軒一軒訪問してばね式の両面のハカリ(業界では下皿と言った)を売るのである。 これによって店の目立たぬところに置かれていたハカリ〔上桿(うわかん)〕に替わって店の一番目立つ入り口の正面の商ケースの上にかっこいいデザインの下皿ハカリが置かれるようになった。両面だからお客さんの方にも目盛りが見える対面販売の普及で明るい笑顔の取引が可能になった。 即ち外販によって店舗におけるハカリの地位が著しく高まり面前計量による取引はお客さんの信頼を確保することに大きな貢献を果たした。 もう一つの功績はお店の主人に「ハカリは大は小を兼ねませんよ、単価の高い商品は1グラムの目盛りのはかりで正確に測って計り込みを防ぎましょう。」と正しいハカリで正しく計るという適正計量の推進に貢献したことであった。 仙台に移ってから2年経った頃、台秤の製造に行き詰まりを感じていた私は、その打開策として外販に魅力を感じ始めていた。業界の事情に比較的明るかった私は、イシダと取引出来ないものかと考えた。イシダに申し入れたところ、幸い営業部長と東北地区担当の二人が私の故郷鬼無の隣村の出身だったこともあって、話はとんとん拍子に進んで昭和36年にイシダの代理店契約をすることが出来た。イシダの販売代理店になったことが日東の体質を変え、大きく飛躍する転機となった。 目次 17 飛込み営業 2746号 外販をスタートさせるに当たって、イシダから北吉さんというベテランが販売指導に来てくれた。北吉さんは延べ100日余り仙台に滞在し、セールスマンを率いて肉屋・魚屋に飛び込み訪問して実践指導をしてくれた。工場の片隅に住んでいた私たち夫婦は、朝夕北吉さんを招いて家内の手料理で食事を共にした。食卓を囲み杯を傾けながら、彼は外販について熱心に話をしてくれた。今までルート営業しか経験の無い私にとっては、軒並み飛び込み訪問の話は未知の世界で大変勉強になった。また、雑談の中で私が北吉さんに話した業界地図が、その後イシダが代理店を全国に展開する上でいくらか参考になったようだ。 1円玉の目方は1gなのでセールスには必ず1円玉を10数個持ち歩き、1円玉をハカリに載せながら下皿の感度のいいことを訴えると共に1gの損失は1円の損失と同じことなのだということを視覚で訴えた。 台秤が7千円くらいの時に下皿は2万円余りで相当高価であった。2万円の商品を現金で買える店は少なかったので、A4くらいの大きさの袋を店の奥にぶらさげておいて、それに毎日200円づつ入れてもらい、週に一度集金に行く。即ち1日200円の日掛け販売である。 リースもローンも無かった時代の販売の知恵である。集金専門の若い社員が軽自動車で毎日何十軒と回収して廻る。お陰でその若い社員は仙台の道路はどんな細い裏道でも隅から隅まで覚え、これが後年本人の貴重な財産になったものである。 20人くらいの規模の人員が外販を機にみるみる40人になり60人になって、塩釜・石巻・気仙沼・盛岡・八戸・郡山・山形と次々と営業所を展開したのはよいが、調子に乗り過ぎて又失敗した。信頼していた営業所長の造反もあって、昭和44年には資金繰りに窮して二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなるというピンチを招いてしまった。毎日手形の決済に追われて後ろ向きのその場凌ぎの日々が続き、毎月給料も遅配という地獄の苦しみを味わった。 此処が人生の正念場と腹を据えて京都本社に行き石田隆一社長に窮状を訴えたところ、役員会にかけて頂き石田社長の決断で日東の1500万円もの債務を棚上げしてくれた。人生の最大のピンチを救って頂いたわけだが、石田社長はそんな私に料亭で一席設けて励ましてくれた。私の今日があるのは、この時助けて頂いたお陰である。京都には足を向けて寝られない。 17 飛込み営業 2746号外販をスタートさせるに当たって、イシダから北吉さんというベテランが販売指導に来てくれた。北吉さんは延べ100日余り仙台に滞在し、セールスマンを率いて肉屋・魚屋に飛び込み訪問して実践指導をしてくれた。工場の片隅に住んでいた私たち夫婦は、朝夕北吉さんを招いて家内の手料理で食事を共にした。食卓を囲み杯を傾けながら、彼は外販について熱心に話をしてくれた。今までルート営業しか経験の無い私にとっては、軒並み飛び込み訪問の話は未知の世界で大変勉強になった。また、雑談の中で私が北吉さんに話した業界地図が、その後イシダが代理店を全国に展開する上でいくらか参考になったようだ。 1円玉の目方は1gなのでセールスには必ず1円玉を10数個持ち歩き、1円玉をハカリに載せながら下皿の感度のいいことを訴えると共に1gの損失は1円の損失と同じことなのだということを視覚で訴えた。 台秤が7千円くらいの時に下皿は2万円余りで相当高価であった。2万円の商品を現金で買える店は少なかったので、A4くらいの大きさの袋を店の奥にぶらさげておいて、それに毎日200円づつ入れてもらい、週に一度集金に行く。即ち1日200円の日掛け販売である。 リースもローンも無かった時代の販売の知恵である。集金専門の若い社員が軽自動車で毎日何十軒と回収して廻る。お陰でその若い社員は仙台の道路はどんな細い裏道でも隅から隅まで覚え、これが後年本人の貴重な財産になったものである。 20人くらいの規模の人員が外販を機にみるみる40人になり60人になって、塩釜・石巻・気仙沼・盛岡・八戸・郡山・山形と次々と営業所を展開したのはよいが、調子に乗り過ぎて又失敗した。信頼していた営業所長の造反もあって、昭和44年には資金繰りに窮して二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなるというピンチを招いてしまった。毎日手形の決済に追われて後ろ向きのその場凌ぎの日々が続き、毎月給料も遅配という地獄の苦しみを味わった。 此処が人生の正念場と腹を据えて京都本社に行き石田隆一社長に窮状を訴えたところ、役員会にかけて頂き石田社長の決断で日東の1500万円もの債務を棚上げしてくれた。人生の最大のピンチを救って頂いたわけだが、石田社長はそんな私に料亭で一席設けて励ましてくれた。私の今日があるのは、この時助けて頂いたお陰である。京都には足を向けて寝られない。 |
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(つづく) |
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私の履歴書 鍋島 綾雄 日本計量新報2724号(2008年5月18日)より連載
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6月25日、日曜日の高山を訪れる。古い町並みと朝市を見物する。旅行家 甲斐鐵太郎
黒須茂のエッセー 「人間万事塞翁が馬」天下り校長の悪行を地元紙で
あばくことで書くことに快感をもつようになった(くろす・しげる(元国立高等専門学校教授)